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三沢光晴特集四天王&NOAH編

  • 三沢光晴特集四天王&NOAH編
  • 今年(2020年)で三沢光晴さんが亡くなってから11年が経過。全日本でデビューし、2代目タイガーマスクに変身。天龍源一郎らSWS勢の大量離脱後に素顔となり、川田利明、田上明、小橋健太とともに四天王時代を確立。三沢さんはエースとして全日本をけん引し、2000年6月に多くの仲間たちとNOAHを旗揚げ。「プロレス界の盟主」と呼ばれるほどの隆盛を築いた。そんな三沢さんの偉大な足跡を、週刊プロレス誌面でプレイバック! 第2弾では四天王&NOAH時代編をお届けします。
  • 1993/8/17号(No.567)
    1993年7月29日、全日本武道館大会。三冠ヘビー級王者の三沢光晴が川田利明の挑戦を受け、投げっぱなしジャーマン3連発、タイガー・スープレックス・ホールドで3カウントを奪取。四天王時代本格到来を告げるタイトルマッチだった。
    1993/8/17号(No.567)
  • 1993/12/21号(No.590)
    1993年12月3日、全日本武道館大会。三沢光晴が小橋健太と組んで「世界最強タッグ決定リーグ戦」を制覇。川田利明&田上明との最終公式戦に勝って優勝を決め、同時に第24代世界タッグ王者となった。
    1993/12/21号(No.590)
  • 1994/3/22号(No.604)
    1994年3月5日、全日本武道館大会。三沢光晴が小橋健太と組んで、ジャイアント馬場&スタン・ハンセンとメインで激突。最後は全日本の「伝統技」であるダイビング・ネックブリーカーで三沢が馬場にフォール勝ち。
    1994/3/22号(No.604)
  • 1995/5/2号(No.667)
    1995年4月15日、全日本武道館大会。三沢光晴が優勝決定戦で田上明との激闘を制し「チャンピオン・カーニバル」優勝。濃密なリーグ戦を闘い抜き、5年目で悲願の初制覇だった。
    1995/5/2号(No.667)
  • 1997/2/11号(No.777)
    1997年1月20日、全日本大阪大会。三沢光晴が小橋健太の三冠ヘビー級選手権に挑戦。三沢がエプロンでのパワーボムをウラカン・ランで切り返すなど驚がくの攻防が繰り広げられ、最後はエルボーで三沢が勝利。
    1997/2/11号(No.777)
  • 1997/9/23号(No.813)
    1997年9月6日、全日本武道館大会。三沢光晴が三冠ヘビー級王者として秋山準の初挑戦を迎え撃つ。四天王時代から五強時代への突入を予感させる一戦だった。
    1997/9/23号(No.813)
  • 1997/11/7増刊号(No.822)
    全日本プロレス旗揚げ25周年記念1997年10・21日本武道館大会「'97ジャイアント・シリーズ」最終戦特報号。三沢光晴が三冠ヘビー級王者として小橋健太の挑戦を迎え撃つ。プロレス史に残る熱戦はタイガードライバー91で終止符。三沢が6度目の防衛に成功し、試合後には「ミサワ」コール、「コバシ」コールだけでなく「ゼンニッポン」コールも場内に響いた。
    1997/11/7増刊号(No.822)
  • 1998/5/22増刊(No.854)
    全日本プロレス創立25周年記念1998年5・1東京ドーム大会完全詳報号。全日本初の東京ドームのメインで三沢光晴が三冠ヘビー級王者として川田利明の挑戦を迎え撃つ。
    1998/5/22増刊(No.854)
  • 1998/11/17号(No.884)
    1998年10月31日、全日本武道館大会。三沢光晴が小橋健太の三冠ヘビー級選手権に挑戦。前年の好勝負を上回る激闘を制して、三沢が第20代王者となった。
    1998/11/17号(No.884)
  • 1999/5/20増刊号(No.914)
    全日本プロレス1999年5・2東京ドーム大会ジャイアント馬場“引退”記念興行完全詳報号。三沢光晴がベイダーを破って、三冠ヘビー級王座を奪回した。
    1999/5/20増刊号(No.914)
  • 1999/5/25号(No.915)
    1999年5月7日、三沢光晴が全日本社長就任。王道を継承しながらも新しい全日本プロレスが発進した。
    1999/5/25号(No.915)
  • 2000/6/27号(No.983)
    2000年6月9日、全日本日本武道館大会のメイン後、三沢光晴の退団が発覚。王道マットの激動を追う。
    2000/6/27号(No.983)
  • 2000/7/4号(No.984)
    2000年6月13日、全日本プロレス役員会で三沢光晴らが6名の役員が辞職。翌14日に川田利明が、16日に渕正信が全日本残留を表明。三沢ら総勢31名は16日に会見をおこない、新団体「NOAH」を旗揚げすることを発表した。
    2000/7/4号(No.984)
  • 2000/7/11号(No.985)
    2000年6月23日、渦中の三沢光晴をインタビュー。新団体「NOAH」に向けた決意を聞いた。
    2000/7/11号(No.985)
  • 2000/8/22号(No.991)
    2000年8月5&6日、三沢光晴らが新団体「NOAH」を旗揚げ。旗揚げ2連戦の主役をかっさらったのは秋山準だった。
    2000/8/22号(No.991)
  • 2001/1/9号(No.1011)
    2000年12月23日、NOAH有明コロシアム。NOAHが初のビッグマッチを開催。三沢光晴はベイダーとのシングルを制した。
    2001/1/9号(No.1011)
  • 2001/1/30号(No.1015)
    2001年1月13日、NOAH大阪大会で三沢光晴が橋本真也と初対決。NOAHvsZERO−ONE、闘いの火蓋は切って落とされた。
    2001/1/30号(No.1015)
  • 2001/5/1号(No.1029)
    2001年4月15日、NOAH有明コロシアム。初代GHCヘビー級王座決定トーナメント決勝で三沢光晴が高山善廣に勝利。初代GHCヘビー級王者が誕生した。
    2001/5/1号(No.1029)
  • 2001/8/12増刊号(No.1045)
    2001年、NOAH旗揚げ1周年記念興行7・27日本武道館大会速報号。三沢光晴は秋山準に敗れて、GHCヘビー級王座から陥落。
    2001/8/12増刊号(No.1045)
  • 2003/3/18号(No.1138)
    2003年3月1日、NOAH武道館大会。三沢光晴が小橋建太に敗れ、GHCヘビー級王座から陥落。
    2003/3/18号(No.1138)
  • 2004/8/1増刊号(No.1215)
    2004年、NOAH7・10東京ドーム初進出記念詳報号。三沢光晴は武藤敬司とタッグで初対戦。
    2004/8/1増刊号(No.1215)
  • 2005/8/7増刊号(No.1272)
    2005年、NOAH7・18東京ドーム大会詳報号。三沢光晴は川田利明と5年ぶりの一騎打ちで勝利を収めた。
    2005/8/7増刊号(No.1272)
  • 2009/7/1号(No.1478)
    三沢光晴永眠…NOAH広島大会でいったい何が起こったのか?哀しみと衝撃の2日間を完全追跡ドキュメント/船木が武藤祭にサプライズ登場/土井vs吉野ドリームゲート戦/TAKAvsサスケS-K戦
    2009/7/1号(No.1478)

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