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1979年の月刊プロレス
1979年に発行された月刊『プロレス』のバックナンバー、追加配信中!
◆国際&新日本&全日本「夢のオールスター戦」開催
◆アントニオ猪木が日本人初のWWFヘビー級王者に
◆ヤマハ・ブラザーズが国際プロのIWAタッグ奪取
国際、新日本、全日本が団体の垣根を越え「夢のオールスター戦」を実現させた1979年。プロ野球では広島カープが“江夏の21球”で日本シリーズを制し初の日本一に。ソニーからウォークマンが発売され、刑事ドラマ『西部警察』や学園ドラマ『3年B組金八先生』が放送開始。ジュディ・オングの『魅せられて』や、さだまさしの『関白宣言』、西城秀樹の『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』がヒットした。
〔1979年の主な出来事〕
1月2日 全日本・後楽園にブルーザー・ブロディ(32歳)が初来日。大熊元司&伊藤正男とのハンディキャップマッチで快勝。
⇒1979年2月号
1月5日 全日本・川崎でジャンボ鶴田・試練の十番勝負最終戦。フリッツ・フォン・エリックを2対1で破り、通算成績4勝2敗4引き分けで終了。
⇒1979年2月号
1月21日 国際・後楽園で新日本の“ヤマハ・ブラザーズ”山本小鉄&星野勘太郎がアニマル浜口&グレート草津のIWA世界タッグ王座に挑戦。国際と新日本による初のタイトル戦をヤマハが2対1で制し、王座奪取。
⇒1979年3月号(山本小鉄クローズアップ掲載)
1月26日 新日本・岡山で坂口征二がジョニー・パワーズから北米ヘビー級王座を奪取。坂口は新日本における初のシングル王座奪取。
⇒1979年3月号
2月6日 新日本・大阪でアントニオ猪木が覆面空手家・ミスターXと「格闘技世界一決定戦」。空手の型もできないXに猪木が卍固めで勝利。
⇒1979年3月号
2月14日 ホノルルでジャンボ鶴田がニック・ボックウインクルのAWA世界ヘビー級に初挑戦。2対1で勝つも3本目が反則勝ちのためルールにより王座移動はなし。
⇒1979年4月号(同行記掲載)
2月23日 新日本・千葉で国際のマイティ井上&アニマル浜口が山本小鉄&星野勘太郎からIWA世界タッグを奪還。
⇒1979年4月号
2月27日 全日本女子にてジャッキー佐藤がマキ上田を下しWWWA世界王座を防衛。敗れたマキはその場で引退を表明し、2年間続いたビューティ・ペアのブームは終焉。
3月5日 全日本・館山で越中詩郎が園田一治戦でデビュー。
4月3日 新日本・福岡でアントニオ猪木がレフトフック・デイトンと「格闘技世界一決定戦」。ヘッドバットからのバックドロップでTKO勝ち。
⇒1979年5月号
4月6日 全日本・秋田で「第7回チャンピオン・カーニバル」決勝がおこなわれ、アブドーラ・ザ・ブッチャーがジャンボ鶴田を破り2度目の優勝。
⇒1979年5月号
5月10日 新日本・福岡でアントニオ猪木がジャック・ブリスコを下しNWFヘビー級を防衛。史上初の賞金マッチとしておこなわれ、猪木は試合後、現金の札をばらまき100枚以上の千円札がリングに舞った。
6月7日 新日本・蔵前で「第2回MSGシリーズ」決勝戦がおこなわれ、アントニオ猪木がダイビング・ボディーシザースでスタン・ハンセンを下し2連覇。
⇒1979年7月号
6月14日 国際・吉原功、新日本・アントニオ猪木、全日本・ジャイアント馬場の3団体社長同席のもと、東京スポーツ新聞社主催「プロレス夢のオールスター戦」(8月26日、日本武道館)の開催を発表。
⇒1979年8月号(吉原、猪木、馬場へのインタビュー掲載)
6月15日 ロサンゼルスで坂口征夫&長州力がヒロ・マツダ&マサ斎藤を破り北米タッグ奪取。長州は日本のメジャー王座初戴冠。
⇒1979年8月号(7月6日の初防衛戦掲載)
7月13日 キム・ドクの全日本入団が発表され、リングネームをタイガー戸口に変更。
7月20日 国際・大館にダイナマイト・キッドが初来日。阿修羅・原のWWUジュニアと自身の英連邦ジュニアを懸けたダブルタイトル戦は両者リングアウト。
⇒1979年9月号
8月26日 東京スポーツ新聞社主催の「プロレス夢のオールスター戦」が日本武道館で開催され国際、新日本、全日本が参加。メインでジャイアント馬場とアントニオ猪木が8年ぶりにタッグを組み、アブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シンと対戦。試合後に猪木は「馬場さん、次にリングで会うとき、それは闘うときです!」と叫び、馬場が「よし、やろう」と応じた。
⇒1979年9月増刊号
10月2日 新日本・大阪で剛竜馬が藤波辰巳を破りWWFジュニアを奪取。藤波は25度目の防衛に失敗したが、2日後の蔵前で王座奪回に成功。
⇒1979年11月号
10月4日 新日本・蔵前でアントニオ猪木とタイガー・ジェット・シンが体にオイルを塗って試合をおこなう「インディアン・デスマッチ」でNWFヘビー級戦。
⇒1979年11月号
10月31日 全日本・名古屋でジャイアント馬場がジャンピング・ネックブリーカードロップでハーリー・レイスを破り5年ぶり2度目のNWA世界ヘビー級戴冠。
11月30日 新日本・徳島でアントニオ猪木がボブ・バックランドのWWFヘビー級に挑戦。タイガー・ジェット・シンの乱入に気を取られたバックランドを猪木がバックドロップで投げて勝利。日本人初のWWF王者に。
12月6日 新日本・蔵前でアントニオ猪木がボブ・バックランドとWWFヘビー級初防衛戦。タイガー・ジェット・シン、マサ斎藤の乱入後、バックランドがアトミックドロップで猪木の股間をトップロープに打ち付けフォール勝ち。新間寿WWF会長が無効試合と裁定し後日再戦となったが、バックランドは王者として帰国し、猪木が王座を奪取した事実はWWF-WWEの記録からは抹消された。
12月13日 全日本・蔵前で「世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦。ドリー・ファンクJr&テリー・ファンクがアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シークを下し2年ぶりの優勝。ブッチャーとシークは誤爆で仲間割れ。
猪木ヨーロッパ遠征、5カ国20都市を征く/「猪木とやれ」の声に…馬場の新春放談/藤波が剛との再戦を制しWWWFジュニア防衛/最強タッグ前半詳報/AWA王者ニック・ボックウインクル直撃/国際リーグ戦は木村が制す
プロレス1979/1号
猪木、藤波、レイス、バックランドのWWWF4大王者がMSG集結/“幻の大物”ブロディ初来日/鶴田試練の十番勝負最終戦、全戦プレイバック/阿修羅・原、正式デビュー/ドリーインタビュー
プロレス1979/2号
猪木が謎の空手家ミスターXを破り格闘技戦10勝目/初来日で大暴れ、ブロディに直撃インタビュー/80年代マット界を担う10大強豪リストアップ/“鬼軍曹”山本小鉄クローズアップ/ラッシャー木村の素顔
プロレス1979/3号
カーニバル開幕戦で鶴田vsブッチャー/“小さな巨人”浜田4年ぶり凱旋/ザ・サモアンズ初来日/井上&浜口がヤマハからIWAタッグ奪回/“ブッチャー”は7人も!リングネーム考察/剛竜馬に迫る50の質問
プロレス1979/4号
ブッチャーがカーニバル2度目の優勝、鶴田の初優勝を阻止/“恐怖の格闘家”に猪木の頭突き炸裂/ニックとバックランドがAWA&WWF夢の2冠戦/木村健吾、メヒコで丸坊主に/坂口&藤波&星野&長州座談会
プロレス1979/5号
ラッシャー木村が“スーパースター”ビリー・グラハムを下しIWA防衛/ハンセンが馬之助との注目の一戦をラリアットで制す/世界の猪木をメヒコ大歓迎/猪木が主治医と特別対談/阿修羅・原が世界王座初戴冠
プロレス1979/6号
鶴田vsロビンソンのUN戦、死闘60分/猪木がハンセン下しMSGシリーズ2連破/“馬場vs猪木”実現か?20年の確執を振り返る/“熊殺し”ウイリーの山中特訓/馬場の愛車紹介/初来日エリック兄弟にインタビュー
プロレス1979/7号
馬場、猪木、吉原に直撃インタビュー“夢のオールスター”予測カード/“熊殺し”ウイリーが猪木戦へ特訓/さよならデストロイヤー特集/前田、平田、ヒロら新日本若手座談会/ストロング小林の愛車/越中秘蔵写真
プロレス1979/8号
夢のオールスター戦展望特集!“BI砲”8年ぶり復活へ馬場&猪木対談/猪木vsシンのNWF戦はノーコンテスト/ラッシャー木村“流血怪人”スミルノフに敗れIWA陥落も即奪還/初来日ダイナマイト・キッドにインタビュー
プロレス1979/9号
「夢のオールスター戦」1979・8・26日本武道館詳報号…全日本&新日本&国際の3団体から30選手出場、馬場&猪木8年ぶりタッグのほか越境チーム多数実現。当時の屋内興行最多記録1万6500人動員
プロレス1979/9増刊号
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